◆展示バイク一覧◆
MV AGUSTA 750S
ホンダ CB92
ホンダ バイアルス TL250
ホンダ CB500 改レーサー
ホンダ モトコンポ
ヤマハ トレール250DT1
ヤマハ RZ250
ヤマハ TD2 250
ヤマハ YZ250A
スズキ RL250
DUCATI エリート200
カワサキ 250TX
MV AGUSTA 750S
1902年に航空機産業の会社として設立された「アグスタ社」。1945年の敗戦に伴い航空機の製造ができなくなったアグスタ社は、オートバイの製造に乗り出した。それでできたのがMVアグスタ社だった。高性能バイクを次々と生み出し、レースで圧倒的な成績を収めたMVアグスタ社だが、1977年に航空機事業に一本化しオートバイ事業からは完全撤退してしまう。しかしその後1992年になると、当時ヨーロッパのオートバイク業界で好調だったカジバグループがMVアグスタの商標を獲得。
このようなことから、1977年に撤退するまでの間に作られたバイクはいずれも極めて高価で生産数も多くなく、且つ現存数が少なくどれもレアな車両である。
カフェアグスタにあるMVアグスタ 750Sは、1971年から1975年にかけて生産された当時のMVアグスタの象徴的なモデルで、カフェアグスタオーナー弟のK氏もずっとこのバイクに憧れ、数十年前にやっとの思いで手にしたバイク。このMVアグスタ 750Sの総生産数は400台ほどだそうです。
カムカバーにはMVのロゴがあしらわれ、有名なディスコボランテ(空飛ぶ円盤)型タンクもかっこいい貴重な一台です。
ホンダ CB92(1962年式) 文責:オーナー兄
「ホンダと言えばCB」と言うバイクファンは多いが、「CB」の名が冠せられた第1号車の登場は1959年。……60年以上前に遡る。
その「最初のCB」ことCB92は、デビューとともに凄まじいインパクトを与えたマシンだった。なんと初めてのレース参戦で、アマチュアの北野元と言う若者(関西スピードクラブ)がホンダのGPレーサーを破ってしまったのである!
1959年4月に大阪の信太山で開催された「第1回全日本モトクロス競技大会」でデビューし、オープンレースで優勝を飾る。同年8月の第2回全日本クラブマンレース(アマチュア対象)に出場。一般市販車のホンダ ベンリイスーパースポーツCB92で、125ccクラスで優勝する。
また市販レーサーであるドリームスーパースポーツCR71の250ccクラスに出場し、両クラスで優勝。そしてまた、同レースと併催だった第3回浅間火山レース(ワークスチーム対象)125ccクラスにも招待され、市販マシンCB92でホンダのワークス勢を抑えての優勝を果たす。(この時北野は18歳の未成年であった。)
なんとホンダワークスは『アマチュアの青年』に負けてしまったのだ!
浅間火山レースの250ccクラスにも招待されていたが、このレースには出走していない。125ccに続き250ccクラスでもホンダワークスが負けては困ると、ホンダから北野に対し出場を控えるよう要請があったのではないか、という説もある。(CR71は、名目上は市販車だが、事実上ホンダ系チームだけに貸与されていた。)
北野はその後マン島でのケガもあって2輪を離れ4輪に移った。その後の活躍は多くの人の知るところである。
1950年代後半、ホンダは技術力・企業規模ともに飛躍的な発展を遂げ、小型バイクのカテゴリーとしては、マシンのメカニズムや性能面でも世界をリードする立場となっていった。
そして1959年、C90のスポーツバージョンとして発売されたマシンがCB92である。
当時は、浅間高原でのレースを頂点とするバイクレースが、国内でも開催されつつあり、それまでの実用用途に主眼が置かれていたモデルから、本格スポーツ車の開発が始められた時期──。正式名称「ベンリイスーパースポーツCB92」は1959年の4月に発売され、ホンダとして始めて「CB」と名付けられた市販車となったわけだが……なんとその実態は夏に行われる浅間レースに向けた市販レーサーで、発売と同時に全国のスポーツ有力店へ優先的に出荷された。
後世、CBX/CBRも含め50~1300ccまで、CBの名を冠したホンダを代表する無数のスポーツモデルが世に出てゆくが、CB92こそがそのルーツなのだ。
出力はC92の11.5馬力/9500rpmから15馬力/1万500rpmへ高回転高出力化。
車体ではプレス鋼板構造とはいうものの、前後18インチホイールに専用のマグネシウム製大型ブレーキを装備している。特にこのブレーキは、250cc用スポーツ車として試作された車両から流用され、その構造は同時期のGPレーサーに近い物だった。
また初期型はヒューエルタンク、フロントフェンダー。サイドカバーがアルミだった。
一度見たら忘れられないそのスタイリングは、当時浅間高原で行われていた一連の全日本レースでの車両をモチーフにしているが、マシン上方からタンクを見ると人の「骸骨」にフォルムが似ている事から「ドクロタンク」と通称され、現在でも語り草になっている。
CB92は発売当初からレースでの使用も重視されていた為、ユーザー向けのレース用キットパーツも用意されていた。これは現在のHRCベース車と同じような位置づけで、さすが「レースの血」が流れるホンダ車である。
(この雑誌にあるCB92こそ、カフェアグスタに展示されているCB92そのもの。ページをめくると、若かりし頃のオーナー(兄)が… こちらの雑誌はカフェアグスタでご覧いただけます!)
ホンダ バイアルス TL250
1975年にTL125の上級版として発売されたバイアルスTL250。このバイアルスというのは「バイク」と「トライアルス」を掛け合わせた造語である。
TL125が公道走行も可能だったのに対しTL250は、ヘッドライトやウィンカーなどの保安部品を備えない競技専用車だった。
ホンダ CB500 改レーサー(1971年式)
あのCB750発売後に【静かな男のマシン】というキャッチフレーズで発売されたバイク。
当時ホンダのライダーであった故隅谷守男選手が、RSC製のCB500改で2ストレーサーと互角の走りをした。
カフェアグスタのこのバイクは最近になりクラシックレース用に製作されたもの。本来はディスクブレーキだが、60年代のGPレーサーの雰囲気でドラムにしてある。
ホンダ モトコンポ
1981年、当時一世風靡したホンダのコンパクトカー”シティ”のオプションとして、トランクに積めるというコンセプトで開発されたモトコンポ。
キャンプ場やサーキットまではシティで、現地についたらモトコンポで行動するということを想定して開発されたそうだが、当時はこのモトコンポがシティを買えば付いてくると思った人も多く、”オプション”となるとモトコンポを断念してしまう人がいたという。
そういったこともあってか、発売当初は売れ残りが続出。叩き売りされるほどになったモトコンポは1985年に生産終了してしまった。
この写真にもあるように、モトコンポはハンドルやシート、ステップの部分が収納できる。
また新車時には6面それぞれの方向からモトコンポを見た時の絵が描かれた『段ボール箱』に入れて販売されていた。
そんなモトコンポのユニークな特徴から、漫画やアニメに登場することが多く、なんと生産終了後になって人気が高まった。
ヤマハ トレール250DT1(1969年式)
1960年代、アメリカではオフロードランを楽しむ若者が増えていた。
それをみた現地法人のYIC(北米ヤマハ)は、一般公道でもオフロードでも走れる”トレールモデル”提唱に将来性があると見て、駐在していた日本人社員を経て本社に伝えられた。
当時まだオフロードの概念がなかった日本だったが、それをきっかけに「未舗装路を思いっきり走れるバイク」としてヤマハトレール250DT1は登場した。
当時アメリカでの全ヤマハ社の販売台数は年約4千台ほどだったが、初年度の販売計画はDT1のみで12,000台。なんとDT1のみだというのに3倍だ。
結局、DT1は品薄状態となり、販売計画をクリアしたのだという。
そして“トレール”という新しいジャンルを提唱したそのスリムで美しいモデルは、アメリカのみだけでなく日本でも空前のオフロードブームを引き起こすこととなった。
ヤマハ RZ250
ヤマハ TD2 250
ヤマハ YZ250A(1973年式)
当時のワークスレーサーに近い市販車。モトクロッサー市販はされたが、当時の一般ライダーには渡らず、有力なライダーしか手にすることができなかった。
現在国内には、動く車体は5台しかないと言われている。
スズキ RL250
RL250は、ホンダ、ヤマハに出遅れて発売したスズキ唯一の公道を走れるトライアル車。
クロモリフレーム、アルミタンクを使用し100kgを下回る車重。
DUCATI エリート200
イタリアのボローニャを拠点とするオートバイメーカー・販売会社であるDUCATIが1959年から1965年まで販売していたエリート200。
当時公道スピードレースが盛んだったイタリアで、そのレースで優勝することは有力な宣伝となった。1955年にDUCATIの新進気鋭の技術者ファビオ・タリーニが、社長から”レースに勝つこと”とだけ書かれた白紙委任状を渡され、100ccSOHCベベル・ギア駆動の「マリアンナ」でイタリアバイク界を席巻した。
そんなマリアンナから派生したのがエリート200である。
エリート200は200ccと小排気量ながらも、当時の最高峰技術が盛り込まれた最新技術車で、このバイクの製造に使用されたすべての素材は、当時最高品質だった。
エリート200のガソリンタンクは特徴的な形状で、直線で最高速度を出す際に二の腕をガソリンタンクの側面に沿わせ、顎はガソリンタンクの上に乗せる凹みがある。
カワサキ 250TX(1975年式)
ホンダとヤマハがトライアルに参入すれば、日本の四大メーカーのひとつ、カワサキも黙ってはいなかった。1972年にドン・スミス(イギリス)と契約してまず450のプロトタイプの開発にかかった。3台のマシンがSSDT(スコットランドシックスデイトライアル)に送り出されたが、まだ完璧とは言えなかった。
後にこの250ccタイプKT250が1974年に輸出用として発売された。
”The Fruit of My Development Work(私の開発の結実)”とドン・スミスは語っている。
日本では1975年に250-TXとして発売され、山本隆、加藤文博がワークスライダーとして活躍した。
カワサキファンには残念なことだが、1974年の1年限りの生産で、その生産台数も極めて少ない。
輸出名:KAWASAKI KT250
全長:1,866 全幅:840 全高:1,130
軸距:1,300 車重:96㎏ 排気量:246cc
ボア・ストローク:69.5mm 最高出力:16ps/6,500rpm
最大トルク:1.9kgm/4,000rpm 空冷2サイクル:単気筒